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テレビ番組などでお城をめぐる城活が話題になっていますが、昔お城があった城跡が意外と身近にあることをご存じですか?
宇都宮城址公園やLRTの停留場ができた飛山城史跡公園などは、公園として整備されていてイベントが行われているのでよく耳にします。
かつてしもつけの国(現在の栃木県)では宇都宮氏と那須氏が戦っていました。
宇都宮氏と那須氏がバチバチ火花を散らす戦いの最前線だった市貝町。
お城は高台にありますから、ちょっとだけハイキングして城主気分が味わえます。
今回は道の駅サシバの里いちかいから、市貝町の4つの城跡をめぐる”城跡さんぽ”
友人とぶらっと・歴史を学び始めた子どもと家族で…気軽にウォーキング、サイクリング、ドライブでめぐるコースをご案内します。
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観音山の山頂にある村上城跡
道の駅サシバの里いちかいから、北へのどかな景色の中をウォーキングで約45分、サイクリングで約10分、車で約6分行くと山の上に観音山梅の里、村上城跡という大きな看板が見えてきます。
村上城跡は、観音山(標高172.2m)の山頂にあります。
3月には観音山梅まつりが行われて、多くの人が訪れる梅の名所です。
山の麓にある観音山梅の里第2駐車場から、東屋や池がある小道へ行きます。
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ここからちょっとだけハイキング、散歩道を約8分上がっていくと道路にでて、観音山の中腹に到着!
道路脇にはもみじの木が並んでいて、秋には真っ赤な紅葉が楽しめます。
階段を上がると、815年(なんと平安時代初期!)に開山された寿命院永徳寺があります。
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正面にある千手観音堂に近づくとライトが点いてちょっとびっくり!
観音堂の中をのぞくとライトアップされた鎌倉時代の千手観音御前立像(県指定文化財)が佇んでいました。
手に持っている小物がすべて木彫りでできているとは思えないくらい細かい、鎌倉時代に作られたとは驚きです。
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千手観音堂に驚きましたが、今回のメインは村上城跡です。
永徳寺の本堂の奥に看板と階段があって、この上が村上城跡になっています。
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古文書に「1187年に平宗清(平氏の部将)の守る村上城が落ちた」とあることから、築城されたのは平安時代とみられています。
平宗清は、平家の勢力下にあった那須氏と協力関係にあって、平家討伐を進める源頼朝が下野北部の豪族・那須資隆を討つために梶原景時らの軍を向けました。
この戦いで1187年に落城したと村上城落記(後年、吾妻鏡をもとに書いたものと思われる)にあります。
そして、ずっと廃墟になっていたお城を1378年(室町時代)に益子氏の一族の村上新助良藤が修復して、現在の村上城のように再築されました。
1378年以降、村上丹波守則光、丹波守光義と村上氏が3代居住して、約50年間続いた城と言われています。(栃木県教育委員会説明板より)
村上城の歴史を知ったところで、いよいよ城跡をめぐります。
階段を上がると桝形(ますがた)と言われる広場のような場所があります。
桝形(ますがた)は、戦いの時に本丸(お城が建っている場所)に敵が侵入しにくいように作られた場所です。
さらに階段を上がると観音山山頂の村上城の本丸があった場所に着きます。
山頂には梅の木や祠(ほこら)があって、3月には梅が楽しめます。
本丸があった場所でお花見なんて、城主になった気分です。
次は御城(みじょう)跡に向かいます。
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八城の中心だった御城(みじょう)跡
村上城跡(観音山梅の里梅園)から御城跡(シルバー人材センター)までは約2.2㎞、ウォーキングで約30分、サイクリングで約8分、ドライブで約5分の道のりです。
御城跡は標高120m、市塙駅入り口の交差点から上がると案内看板があります。
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築城時期は1364年(室町時代)頃、益子城主の益子勝直が築城したと考えられています。
益子氏系図には「1364年(貞治3年)7月より市花輪に住す」とあり、村上城や市花輪館などの占地状況から、宇都宮氏側の益子氏との関係が推定されています(市貝町史より)
御城は、宇都宮氏幕下の二大武士団「紀清両党」の益子氏率いる「紀党」の拠点の一つで、市塙地域の8つの城館(御城、文谷城、村上城、山根城・芦原城、市花輪館、石下城、多田羅城、赤埴城)の中心を担っていたと考えられています。
市塙台地を利用して造られた平山城で、案内看板の地図と照らし合わせて現在地から見渡してみると高くなっているところが本丸、二の丸、三の丸になっています。
二の丸、三の丸とは、敵が攻めてきた時に城主がいる本丸にたどり着けないようにお城を二重三重にして防ぐ場所です。
御城は大きなお城だったことが想像できます。
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本丸の方に歩いていくと旧市貝町役場の建物が現在はシルバー人材センターになっています。
さらに行くと御城址100mの看板。
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畑のような奥に稲荷神社があります。
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この奥が高くなっていて本丸(城主のお城)があった場所。
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山頂に古墳がある伊許山(いこやま)が見えます。
城主も本丸から伊許山を見下ろしていたことでしょう。
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次は山根城跡へ向かいます。
御城跡から市塙(いちはな)駅へ向かって、山根城跡までは950m、ウォーキングで約14分 サイクリングで約4分、ドライブで約3分。
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展望台から御城が丸見えの山根城跡
真岡鐡道のいちはな駅の上に見える展望台が山根城跡で、記念樹の森という公園になっています。
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駐車場に車を停めると山根城址100m、芦原城址200mという2つの看板があります。
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芦原城は山根城と堀を隔てて隣にあって、城主が一緒だったと考えられています。
緩やかな坂を上っていくと記念樹の森の看板があって、階段から上がるコースと坂道で上がっていくコースを選ぶことができます。
階段を上がると山根城跡の看板がありました。
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そして、お城があった場所が展望台になっていて、ぐるりと市貝町の里山の景色が見渡せます。
遠くには日光連山や栃木の苺スカイベリーの語源になった皇海山(すかいさん)も見えました。
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かつて宇都宮氏と那須氏が戦っていた時代、御城は宇都宮氏側の益子氏が築城しています。
山根城は、1190~1199年(平安時代から鎌倉時代)に那須資隆の十男・為隆が築城したと言われています。
いちはな駅の向こうに先ほど行った御城(みじょう)がある…。
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山根城から敵の御城を見下ろして監視できます…まさに城主気分。
現在は、週末の12時頃に真岡鐡道を走るSLもおかを見ることができるのどかな場所。
4月には桜が咲く名所です。
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次は市花輪館跡へ行きます。
山根城跡から市花輪館跡は約1.4km、徒歩約19分、自転車で約5分、車4分の道のり。
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御城を守る市花輪館跡
市花輪館(いちはなわやかた)は、御城(みじょう)を守る出城と言われていて、山根城跡からもすぐ近いので、御城が攻められた時にすぐに駆け付けられます。
市花輪館は、宇都宮氏側の益子喜市郎勝直が1364年(室町時代)に築城したと言われています。(益子氏系図より)
市花輪館跡の案内看板は、市貝小学校のすぐ南にありました。
城跡の一部は市貝小学校の敷地になっているようです。
本丸のあった小貝川の方へ行ってみると畑が一段高くなっていました。
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すぐ横は小貝川と桜川が合流する地点になっていて、公園に東屋がありました。
土手でひなたぼっこしている方がいます。
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なんて穏やかでのどかな景色
かつて戦いの最前線で緊迫感があった場所とは思えません。
平和な現代に生まれて良かったと幸せを感じる城跡さんぽになりました。
この記事を書いた人
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りこ
栃木県東部の芳賀町、市貝町、茂木町、真岡市、益子町をご案内します“りこ”と申します。
自然の絶景と星空、スイーツ好き!
栃木県の東部は、山と田んぼが広がっている大自然の中、街では見られない夜空にかかる天の川を見られたり、天然の蛍が見られたり、非日常があふれています。
季節の花々、寺社やパワースポット、スイーツなど、“癒される大人の遠足”をガイドして、魅力を伝えていきたいと思っています。