家康公ゆかりの地を巡る旅

2023年5月1日

スポットマップ

日光エリア

  1. 日光東照宮
  2. 大猷院(日光山輪王寺)
  3. 日光杉並木街道
  4. 日光カステラ本舗(本店)
  5. 湯沢屋
  6. 名水の郷 日光おかき工房
  7. 日光醤油のろばたづけ(本店)

那須エリア

8.大雄寺

県央エリア

9.宇都宮二荒山神社
10.薬王寺

県南エリア

11.壬生町城址公園
12.精忠神社
13.常楽寺
14.壬生町お殿様料理
15.とちぎ江戸料理
16.小金井一里塚
17.小山評定跡
18.須賀神社
19.蛸屋
20.史跡足利学校

スポット詳細

日光市

①日光東照宮

徳川家康公が神(東照大権現)として祀られた神社。
家康公が残した遺言(「遺体は久能山におさめ、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつること。そして、八州の鎮守となろう」)どおり、家康公の死から一年後、日光に社殿が造営されました。のちに家康公を敬愛する3代将軍家光公によって、今見るような絢爛豪華な社殿に建て替えられました。

日光市山内2301
TEL.0288-54-0560

②大猷院(日光山輪王寺)

徳川家康公を生涯追慕した3代将軍徳川家光公の墓所。
「死んだ後も、東照大権現(家康公)にお仕えする」という家光公の遺言に基づいて建てられました。大猷院の建物が東照宮に向いているのは、家康公に対する家光公の強い思慕の念を示しています。

日光市山内2300
TEL.0288-54-0531

③日光杉並木街道

日光街道・例幣使街道・会津西街道の3つの街道に渡り、全長約37kmもの道の両側に杉の木がうっそうとそびえ立つ並木道です。
徳川家の忠臣・松平正綱が20年余りの年月をかけて20万本以上もの杉を植樹し、徳川家康公の33回忌の年に日光東照宮の参道並木として寄進しました。現在日本で唯一、「特別史跡」と「特別天然記念物」の“二重指定”を受けており、平成4年には「世界一長い並木道」としてギネスブックに認定されています。

日光市瀬川地区、杉並木公園ほか
TEL.0288-21-5612(日光市観光協会 今市支部)

④日光カステラ本舗

金箔入りカステラをはじめとする日光観光土産が購入できます。
カステラは江戸時代にオランダ国から将軍に献上されていましたが、東照宮へ灯籠を奉納する折にも神前に献上されたと言われています。
金箔は東照宮陽明門、抹茶カステラは日光杉並木をイメージして作られています。ふんわり柔らか、しっとりと優しく懐かしい味わいで、ご自宅用はもちろん、お土産に喜ばれる一品です。

日光市本町1-8(本店)
TEL.0288-53-6171

⑤湯沢屋

文化元(1804)年創業当時より受け継がれてきた酒饅頭は大正天皇にも献上された看板商品です。
令和4年2月にオープンした店舗隣接の鉢石カフェでは、酒饅頭や水羊羹などの和菓子を、日光の美味しい水で淹れる緑茶・抹茶・珈琲等と一緒にいただくことができます。

日光市下鉢石町946
TEL.0288-54-0038

⑥名水の郷 日光おかき工房

日光おかき 眠り猫

日光東照宮の猫の彫刻をモチーフにした、可愛い『眠り猫』缶入りおかき。
世界遺産・日光東照宮の彫刻『眠り猫』をモチーフにした可愛い缶に、3種類のコロコロあられとピーナッツ(雷都物語)が入っています。食べ終わった後は、小物入れになります。※眼鏡がピッタリ納まるサイズです。
【眠り猫とは】
猫の彫刻の裏側に2羽の雀が居り、それを狙う事もせず、うたた寝する姿は、平和の象徴と称されています。

日光市芹沼1989-1
TEL.0120-151-4660288-31-1147)

⑦日光醤油のろばたづけ

日光東照宮献上醤油 譜代相伝(ふだいそうでん)

徳川家康公没後四百年式年大祭に献上され、
再び繋がった日光東照宮との大切な系譜と
代々造り続けた秘蔵の漬け醤油をこれからも守り続ける想いと決意を込めて日光東照宮献上醤油「譜代相伝」と名付けられました。
生醤油に米糀を仕込んだ二段仕込み製法で、この醤油で漬けた漬物には自然な甘みが生まれます。

日光市文挾町438(文挾宿本店)
TEL.0288-27-1122

大田原市

⑧大雄寺(だいおうじ)

黒羽藩主大関家累代の菩提寺で、徳川家康公の側室の娘・しゃむ姫(1593-1662、シャン姫との表記例もある)に縁があります。
しゃむ姫は紀州徳川家の家老水野重仲の養女となり、大関政増(下野国黒羽藩の第2代藩主)の妻として二男二女を産みました。姫は持仏の阿弥陀如来像(現在は西教寺に安置・県指定文化財)を本尊として、黒羽城西の崖下に長松院法王寺を開基しました。
同寺は明治初年に廃寺となり、姫の墓碑は大雄寺山内の大関家墓所に改葬されました。
寺内には「木造しゃむ姫坐像」、しゃむ姫が愛用した「葵御紋付御茶碗」「金梨子地 膳・椀」が残されています。

大田原市黒羽田町450
TEL.0287-54-0332

宇都宮市

⑨宇都宮二荒山神社

末社 東照宮

東照宮は二荒山神社境内に祀られている末社の一つです。西坂の途中、石段を上ったところに社殿があります。昔は神社の西側にあった粉河寺に祀られていましたが、明治時代に寺が廃寺になり地元町民の願いにより、二荒山神社に遷されて末社となりました。現在の社殿は神明造りで御扉に葵の紋が付けられています。

本殿勾爛擬宝珠(ほんでんこうらんぎぼし)

天正 3 (1585)年北条氏直軍が宇都宮に攻め入り、兵火によって社殿が焼失しました。関ヶ原の戦いの戦勝祈願報賽として、慶長 10 (1605)年、宇都宮城主の奥平家昌(家康の孫)のときに社殿が再建されて、この時に寄進されたのが本殿勾欄擬宝珠です。唐金製で「慶長十秊(ねん)己巳(きのとみ)七月吉日征夷大将軍源家康御建立…」と刻まれています(複製品を社務所に展示中)。

宇都宮市馬場通り 1-1-1
TEL.028-622-5271

鹿沼市

⑩薬王寺

徳川家康公・家光公・天海上人の遺骨が滞在した真言宗智山派の寺。
家康公が元和3(1617)年3月久能山から日光山に改葬されたとき、遺骸がこの寺に4日間逗留(とうりゅう)し、それらを記録した「渡御之記」(とぎょのき)が寺宝とされています。

鹿沼市石橋町1534
TEL.0289-65-5315

壬生町

⑪壬生町城址公園

室町~戦国時代にかけて壬生氏が基礎を築いた平城。江戸時代以降、日光東照宮を参拝する徳川歴代将軍の宿城として利用されました。本丸御殿は、将軍の滞在場所であったため、藩主といえども基本的に立ち入ることが出来ませんでした。

壬生町本丸一丁目8-33
TEL.0282-81-1844(壬生町観光協会)

⑫精忠神社

壬生藩鳥居家の中興の祖、鳥居元忠公を祀る社です。
敷地内には、伏見城の戦いで元忠公が切腹された畳が納められている畳塚があります。
畳は、徳川家康公によって元忠公の忠義を各大名に示すために、明治維新までは江戸城伏見櫓に納められていましたが、その後鳥居家が引きとり、今に至ります。また、同神社には伏見城の戦い時に着用されていた肌着、兜、短刀等が残っています。

壬生町本丸一丁目9-13
TEL.0282-81-1844(壬生町観光協会)

⑬常楽寺

寛政3(1462)年壬生筑後守胤業公が寄進し創建した曹洞宗の寺院です。
江戸時代中期からは壬生城主鳥居家の菩提寺となりました。鳥居家の中興の祖である鳥居元忠は、関ケ原の戦い前夜、伏見城で約4万人の大軍を約1,800人で迎え撃ち、徳川家康公の政略時間を稼ぎ、見事、東軍の勝利を導いた、家康公年少の頃からの家臣です。

壬生町本丸一丁目1-30
TEL.0282-82-0225

⑭壬生町 お殿様料理

壬生藩4代目藩主「鳥居忠燾( ただてる)」の「御献立帳」に裏づけされた献立をもとに、現代風に新たに考案された料理です。
壬生町は、将軍家の「おもてなしの城」として、また、北関東の要衝として栄えていました。当時のお殿様が食した美味を、ぜひ町内の飲食店でご堪能ください。

壬生町内7店舗
TEL.0282-81-1844(壬生町観光協会

栃木市

⑮とちぎ江戸料理

今もなお栃木市に残る江戸時代の料理文化を残し伝えていこうと生まれた、栃木市ならではの江戸料理です。
江戸時代の文献をもとに再現したものや、郷土料理、江戸のエッセンスが感じさせる創作料理などがあります。
とちぎ江戸料理は、素材本来の味が生かされており、現代の料理とはまた違った味わいが楽しめます。

栃木市内各所
TEL.0282-25-2356栃木市観光協会

下野市

⑯小金井一里塚

一里塚は、徳川家康公が慶長9(1604)年に江戸日本橋を起点に、東海道・中山道及び北陸道につくらせ、後に全国に広まったといわれます。
道程の目印として1里(約4キロメートル)ごとに塚を築き、榎や松を植えたもので、『官本当代記』によると、「一里塚五間四方也」とあり、一片約9mの方形に築かれていたとされています。
小金井一里塚は、江戸時代の五街道のひとつである日光街道沿いにつくられ、江戸(東京)日本橋から22里(約88キロメートル)の地点にあります。二つの塚がほぼ完存していることなどから、日光道中で唯一国指定史跡に指定されています。

下野市小金井(JR宇都宮線小金井駅から約500メートル)
TEL.0285-32-6105(下野市教育委員会文化財課)

小山市

⑰小山評定跡

徳川家康公は、慶長5(1600)年7月24日、上杉景勝討伐に会津に向かう途中、小山に本陣を置きました。その時、石田三成挙兵の報が入り、翌25日、急遽家康公は本陣に諸将を集め軍議を開き「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田三成を討つべきか」を質したのです。これが世に言う「小山評定」です。この軍議により、東軍は結束を固め、石田三成に勝利するのです。「小山評定」は歴史上重要な軍議の1つと評されており、現在は石碑が建てられています。

小山市中央町1-1-1
TEL.0285-22-9659(小山市文化振興課)

⑱須賀神社

徳川家康公が慶長5(1600)年7月の「小山評定」後、反転西上し、石田三成討伐の戦勝祈願を行った神社です。
須賀神社はかつて、祇園社あるいは牛頭天王社といわれ、天慶3(940)年、藤原秀郷が京都八坂神社より、分祀勧請したと伝えられています。
また、家康公の崇拝神社であったことから、万治元(1658)年に日光東照宮を造営した職人によって、同宮の縮尺で奉製された朱神輿(あかみこし)が奉納され、栃木県指定有形文化財となっています。

小山市宮本町1-2-4
TEL.0285-22-0101

⑲蛸屋

陣内評定餅

徳川家康公が天下分け目の関ヶ原合戦に挑む軍議をひらいた「小山評定」。その小山の地で、縁起を担いで献上されたという故事に想いをよせて作られたきなこ餅です。沖縄産黒砂糖で作った黒蜜をたっぷりかけてお召し上がりください。

小山市城東4-19-15(本社)
TEL: 0285-25-1050

足利市

⑳史跡足利学校(大成殿 年筮(ねんぜい)の部屋)

足利学校は、儒学を中心としながらも易学、兵学、医学などを学ぶため戦乱の時代においても全国から多くの学徒が集まりました。
その中で易学は、過去の流れから未来を予測するものとして重宝され、足利学校で易学を学んだ者は有能な「軍師」として扱われました。足利学校第9世庠主(しょうしゅ)・閑室元佶(かんしつげんきつ)(三要)は、関ヶ原の戦いで徳川家康公の軍師として活躍し、功績を立てました。
足利学校庠主が、徳川将軍家の一年間の吉凶を占い奉呈していた「年筮の部屋」が史跡足利学校の大成殿内に現存しています。

足利市昌平町2338
TEL.0284-41-2655

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