わたらせばし

渡良瀬橋

足利市

  • 歴史・文化・自然

2021年12月1日更新

栃木県の
このあたり!

県南エリア

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渡良瀬川は、足利市の中央部を流れる母なる川として親しまれています。一方で本川は江戸初

期には矢場川筋を流れていたとされ、河道は南から大きく北へ移動し現在の流れになったように、

古くから暴れ川として知られていました。

このような暴れ川では、昔は橋を架けることが困難であったため、江戸時代には渡し船を利用

して対岸に渡っており、明治初期にようやく上流の借宿と下流の田中の2箇所に木舟を繋いだ舟

橋が作られたとされています。

この渡良瀬川に初めて橋が架けたれたのは、明治35(1902)年のことで、「渡良瀬橋」と名

付けられました。この初代の渡良瀬橋は、時代劇で見るような和式橋梁と曲弦トラス(ボースト

リングトラス)の木造橋で、工事費は約4万5千円であったそうです。この時に作られた石切積

みで水切りの付いた橋脚は今でも利用されています。

次いで大正6年(1917)年に上部工のみが木造トラスに架け替えられ、現在の橋は昭和9

(1934)年に陸軍特別大演習の際に軍隊が通るために架け替えられたもので、同年2月に工事

に着工し、6カ月後の9月には工事費約9万7千円で完成しました。工事は従来の切石積みの橋

台、橋脚を一部改築し、その上に鋼製のワーレントラスを設けました。

橋の紹介

渡良瀬橋は、いまでは森高千里さんの歌で全国的な知名度となりました

が、実際の橋を眺めると架設から80年以上にわたり足利市民の生活を支え

てきた風格を感じさせます。

昭和39(1964)年には、自動車交通量の増加に伴い、歩行者・自転車

の安全な通行を確保するため、上流側に幅員3mで鋼単純鈑桁橋の側道橋

が架けられました。

橋名の読みについて、道路管理者である栃木県は「わたらせばし」とし

ていますが、橋名板を見ると「わたらせはし」と記載されています。「ば

し」と濁らないのは、川が清く淀みなく流れることへの祈願や、濁りが洪

水を連想させるため濁音標記を避けた先人技術者の川への思いの現れで、

本橋以外にも全国的に良く見られる慣習です。

【インフラスポット】参考:とちぎの土木遺産(土木学会栃木会)



■路線名:県道 足利・太田線(あしかが・おおたせん)

■交差物:一級河川 渡良瀬川(わたらせがわ)

■橋長(最大支間長)径間数:243.27m(36.4m)9径間

■上部工形式:鋼単純下路式平行弦ワーレントラス橋6連RC単純T桁橋3連

■下部工形式:直接基礎半重力式橋台2基、ケーソン基礎ラーメン橋脚6基、直接基礎ラーメン橋脚2基、(橋台、橋脚は切石積み)

■架設年:昭和9(1934)年

■管理者:栃木県安足土木事務所



















 

基本情報

住所 〒326-0814 栃木県足利市通4丁目〜田中町
問い合わせ先 安足土木事務所 0284-41-2331

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